数学が好きだ。
最初からそうだったわけではない。他の人と同じように、数字と公式で構成される複雑な体系を理解するのは難しかった。
今もそれは変わらない。公式を思い浮かべ、数字を代入して、答えを導き出すまでにかなり時間がかかる。時間をかけて熱心に解き、導き出した解答が間違っていることもしばしばある。最初に戻ってまたスタート。正解が出るまで繰り返し。この退屈なプロセスのせいで、脱落者が続出するのだろう。
それでも数学が好きなのは、ありきたりだが、明確な答えが出る分野だから。自分が間違っていたとしても、答えは間違っていない。過程が多少変わっても答えは一つだけだ。それがいい。答えは初めから決まっていて、自分は答えさえすればいい。そこまで辿り着く道を発見すればいいところが。間違いのない正解が存在するところが。
そして、これはジャンハオが答えもない片想いをしているためである。
答えを知らないわけではない。正解がないのだ。そのため、問題を解くプロセスも分からず、公式を使うこともできない。
既に数学の領域を越えた、手の施しようのない感情。書いては消し、書いては消しを繰り返して5年目。ボロボロに壊れてしまった心臓が乱雑な縫い目から落ちないように抑える。
片想いが長くなると習慣になる。まるで最初から持って生まれたかのように身についてしまうのだ。いつもある方向に視線を向け、耳を澄まし、全神経が片方だけに集中して敏感になるのが当たり前になる頃には、既に諦めの気持ちが混ざる。どうせ取り出すこともできない心を深く埋めておいて、そばにいることで満足する。今までもそうだったし、これからもそうする予定だった。
しかし、人の心はずる賢く、自分だけのものではない優しさに期待してしまう。そして自分のものではないことに気付き、傷心し、落胆する。自分でも気づかないうちに流れ出た気持ちをを掬いあげて自責しながらも、なぜ分かってくれないのかと嘆く。
答えが間違ってる。最初からもう一回。
気を引き締める。正解のない、いや、正しいはずのない答えに向かう道を歩むのを止めて、スタート地点へ戻ってくる。いつも通り、表情を整えて、本音は無視する。大変だが、それほど難しいことではない。